命の公式

先日tbsで、この5月10日・11日に放映された特集番組として放映された「乳がんと闘いながら24歳。。。」の闘病生活、彼女をささえる家族、友人そして恋人を特集したドキュメンタリーが、再放送された。

とは言っても、その放送分がYouTube (余命1ヶ月の花嫁)で話題になっていたのでみたのだけれど。

闘病のすごさを知ってもらうことで、早期に発見していればもっと違った人生を歩むこともできるだろうからと、ドキュメンタリーとして知らしめることで協力をしたという千恵さん。

内容をみて、ささいなことで幸せを感じたという千恵さんの、生きているという毎日の瞬間ひとこまが奇跡だと語った残された日々を家族、友人、恋人に勇気づけられていた幸福感が、彼女のやさしさと純さを通して、ひしひしとさまざまな状況や状態にある視聴者に強くその勇気と希望を与えてくれた、と思う。

彼女がsnsで書いていた日記ブログも読んでみた。

入院している時の、元気のあったときに書かれたのだろう、何回か書かれた文章を読むと、強く元気づけられる。

命の大切さを教えてくれるというだけでなく、命=幸せなんだよなぁ、と感じた。

番組のあと、ブログにいくつもいくつもコメントがつけられていっているのをみて、彼女はこの世に姿をとどめないけれど、彼女の勇気と希望は多くの人の心の中に生まれ変わったような気もした。

番組を通して一番印象に残ったのは、奇跡を願いながら、身近な彼女の希望を実現させようとした友人や恋人の気持ちもさることながら、やはりお父さんの貞士さんの姿。

子をもつ父親として、辛く、怖いという気持ちをどれだけの勇気をもってこらえてこられたのだろうかと想像したとき、千恵さんを毎日病室に付き添ったあと、ひとり家に帰り、ひとり眠る時間は言葉にはならないものがあったと思う。

実は、

こういうドキュメンタリーはあまり好んでみたいという性格ではない。

涙もろいせいか、次の日はれぼったいまぶたで目覚める。ただ、面識のない誰かのこうした話には涙もろいけれど、身近の誰かの時には、涙はでなかった。

身近にいた誰かの最期にだけ会いにいったことがある。相手以上にこちらの頭のなかがからっぽで、ほとんど何も言えなかった。ただ、相手の目をじっとみつめてだけいて、心の中で、「どうして?」「なぜ?」とつぶやくだけだった。

その一度だけ会いにいけただけで、闘病中のあの人には何もしてあげられなかっただけでなく、会いにいく勇気すらなかった。奇跡を信じるとか、苦しみを分かち合うとか?

その一度だけ会ったとき、

「がんばれよ」

と、ぽつりぽつりとつぶやいた病気の相手からでてきたのは励ましのことばだった。

千恵さんの最期をつづったドキュメンタリーをみて、その「がんばれよ」といったあの人のことを思い出した。

なぜ、こんなことをブログに書くのか?

いつも、自分の心の中だけで、あの人と会話を続けたり、あるいは他界したおやじに話かけたり、いまでも心の中に生き続ける人たちに、こうしてブログを書くと、思うだけじゃなくて、伝わる気がしたから。

うん、がんばってるよ。

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