ハワード・ヒューズ - Howard Hughes

Wikipedia : ハワード・ヒューズ; Howard Hughes

1905年12月24日 - 1976年4月5日。

ひとことで言うと、飛行機に魅せられた「飛行機野郎」。

レオナルド・ディカプリオがヒューズの生涯を演じた「アビエイター」(マーティン・スコセッシ監督)を観て、映画でのエピソード以外に、ハワード・ヒューズという人物はどんな生涯を送ったのだろうかに興味が湧いて、Wikipediaなどを読むに至った。

彼の両親は、16歳のときに子宮外妊娠による合併症で母親を (1922)、その2年後に彼に莫大な遺産を残した父親が心筋梗塞で、若い頃に亡くなっている。

父親の財産は、彼が発明した掘削に使うドリルビット (tri-cone roller bit)の特許で成功してできたものらしい。父親の才能を譲り受けたエピソードとして、彼が12歳のとき彼自身で製作したバイクをもつヒューストンで始めての少年として地方紙に紹介されたことがあるらしい。

父親を亡くしたハワードは、Rice Universityを中退し、1925年の19才の時、Ella Riceと結婚し、ハリウッドへと移住する。(1929年に離婚)

カリフォルニアに移った20代は興味をもっていた映画に没頭し、大好きな飛行機をふんだんに使った『地獄の天使』(1930)などのヒット作の製作にお金をつぎ込んだ。その後、1948年に当時経営危機に陥っていたRKO (Radio-Keth-Orpheum)映画会社を買収した。いくつかヒット作品をつくったものの、その後買収したTWA(トランス・ワールド航空)の経営資金捻出のため売却している。

アビエイターでも、プレイボーイとして当時の有名女優たちと交際していくシーンがあるが、キャサリン・ヘプバーンエヴァ・ガードナーベティ・デイヴィスジーン・ハーロウなど数多くのハリウッド女優やセレブたちとつきあったようだ。

映画とともに彼が人生を賭けて実現しようとし続けたのが航空機。

1935年、ヒューズ・エアクラフト社を設立し、1939年T&WA社を買収しながら、歴史に残る偉業をハーキュリーズ飛行艇の製作や、飛行機で世界を身近にする記録を樹立してもいる。

持病に、強迫性障害をもっていたが、歳をとるにつれひどくなっていき、TWAの株を手放すよう連邦裁判所に命令された1966年に、ラスベガスに購入したカジノホテルのスイートルームにこもった生活を続け、1976年2月にはメキシコのアカプルコにあるプリンセス・ホテルのスイートに移る。アカプルコに移って約2ヵ月後昏睡状態に陥り、アメリカへ運ばれる途中に享年71歳でこの世を去る。死因は腎不全。

ヒューズエアクラフト社の節税対策として、また若くして両親を亡くした出来事にも影響されたらしく、1953年に同社の全株式を拠出してハワード・ヒューズ医学研究所を設立した。1985年、医学研究所はヒューズ・エアクラフトをGMに売却。1997年、GMはHエアクラフトを Raytheonに売却、また2000年にヒューズ・スペース&コミュニケーションズをボーイングに売却。

彼の遺産の一部 (当時の1.56億ドル)が、1967年の冬ラスベガスから北に250キロメートルのあたりで行き倒れていたヒューズを助けたガソリンスタンドのオーナーの手にはいったエピソードもある。

とまあ、波乱万丈の人生を優雅にそして持病に苦しんだハワード・ヒューズという人を、映画でその人生を描いた「アビエイター」は、なかなかおもしろい。とくに、後半、パンナムの社長とつるんでヒューズを干そうとした諮問会でのシーンは、いい。

DVD:アビエイター
本:ハワード・ヒューズ

凡人でないも、凡人にはないいいところも悪いところももち、すんなりと幸せな一生をすごしたとは言えないあたりで、

数学者、ゲーム理論で有名なジョン・ナッシュ(1928年6月13日~)の人生を描いたビューティフル・マインドの雰囲気が重なっている気がしないでもない。

本: ジョン・ナッシュ
DVD:ビューティフル・マインド

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